遠い昔、若かりし学生の頃夜行列車で蔵王へ行った。学年末の試験が終わった後、青果市場で荷下ろしのアルバイトを1か月、もらったバイト代を握りしめて蔵王に行った。可能な限り長居する魂胆だ。東京を22時頃出発し、山形駅に早朝到着する。それからバスに乗り、蔵王温泉まで1時間弱。その頃は雪も多かったのか、蔵王へ行くのがいつも2月初旬頃だったからなのか、市内を抜けると1m近くの積雪で、山道を登り始めるころには、ガードレールも埋まって見えなくなっていた。蔵王温泉の中も道路の消雪設備などは無く、蔵王温泉全体が雪に埋まり、雪の間から温泉の湯気が立ち昇っていた。遠くまで来たと言う思いがつのった。
定宿としていたのが蔵王観光ホテル、そこにスキーヤーズベッドがあった。大部屋に、2段ベッドが並べられている。真ん中には煙突がついたごつい石油ストーブが据えられていて、置かれたパイプ椅子にスキーウェアが干されていたりする。値段は1泊2食付きで、2500円程度だったかと記憶している。9時過ぎ頃宿につくと、フロントで部屋とベッドの番号を告げられる。狭い廊下を通り、階段を上りまた下りさらに廊下その奥にスキーヤーズベッドのある大部屋がある。雪の無い季節に訪れたことがなく建物の外観は知らない。雪にすっぽりと埋まった宿は、増築の繰り返しでまるで狸か何かの巣穴の様だった。大部屋の障子を開ける。ストーブの前に2人ほどの先客がパイプ椅子に座って話をしている。私が部屋に入ると、踵を返してこちらを見た、二人ともジャージの上に宿のどてらを羽織っている。「こんにちは」と挨拶をすると会釈を返してくれた。教えられた番号のベッドを見つけ荷物を置き着替えを始める。廊下の窓の外は真っ白、空はどんよりと曇り時折雪が舞っている。2月の蔵王で青空を見る回数は少ない。晴れたのは一週間に1日程度だったと記憶している。朝晴れ渡り、地蔵岳の山頂が見えた日も昼前にはガスがかかり、午後に吹雪くことも多い、いそいそと支度をしていると、どてらの片方が小声で「初日だから」というのが聞こえた。何を話しているかは、承知している。先客も私と同様、何日も雪山に籠りたくてここにいる。到着後、何日かすれば、天気と、自分好みのコンディションを選ぶようになる。どんな天気だろうが飛び出していくのは、最初の2、3日、それと蔵王を降りる前日だ。この蔵王観光ホテルはその後、火災で焼失してしまった。1983年2月 吹雪の深夜だった。犠牲となった人も11人と多く、大きなニュースとなった。その頃、私は社会人となり、スキーからは離れていた。テレビで火災を知り、増築を重ね迷路のようになっていた廊下を思い出し、さもありなんと思いつつ、喪失感を覚えた。犠牲となられた方には、同宿の思い出を添えて冥福をお祈りしたい。その後、蔵王観光ホテルは再建されず、その場所に蔵王プラザホテルが建っている。
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